【連載企画】COCOHELI STORIES 「いってきます」と「おかえりなさい」の間に。
vol.37 山岳サークルで出会った奥様と結婚し、新婚旅行もフランスのシャモニーを訪れモンブランに登ったというお二人。仕事でも山に携わってきた山﨑さんが海外から遊びに来た仕事仲間をもてなす、山﨑家の休日にお邪魔しました。
「初めて山に登ったのは高校 2 年生の春休み。埼玉県と東京都の県境にある雲取山に登ったのが初めてです。当時僕はサイクリング部だったけど山岳部の友達と仲が良くて、一緒に行かない?と誘われたのが始まりです。初めての登山は散々なものでした。埼玉県側から行くと山頂の山小屋で1泊する行程。上の方は凍っていて、滑落しないよう死に物狂いで山小屋にたどり着いたと記憶しています。寒くて寝むれずに朝を迎え、帰りは距離の短い東京側に下山しました。そんなとても辛い思いをしたのに、あたたかな天気と下山中に見た湖がすごく綺麗で、達成感もありいい思い出になりました」と山﨑さん。奥多摩湖で日向ぼっこしながらバスを待っていたら、また登ってもいいかなと思ったそうです。埼玉県側に下っていたら今の山﨑さんはいなかったかもしれないですね。
「その後大学へ進学。受験勉強後に沢山の山の本を読んで岩登りをしたいなと思っていたので、社会人山岳会に入りました。学部の決まりで何かに所属する必要があったため山岳サークルに入り、そこで妻に出会いました。在学中は岩登りばかり。冬はアイスクライミングもしましたし、4年間クライミング三昧でした」と山﨑さん。その後警察官になり、お仕事をしながらも山登りは続けていたそうですが、ある時退職してサラリーマンに。「アウトドア業界の会社に勤めながら山岳ガイド資格も取ったので、休日は先輩ガイドのお手伝いをしていました。会社員時代は警察署や消防署、海上保安庁等の救助に携わる公的機関の方々に救助用機材を紹介していました。その後独立し、より良い商品を紹介しようと今に至ります。人の役に立ちたいと思って警察官になったので、救助に行く人たちを応援したいという気持ちが強かったですね」とおっしゃっていました。
山﨑さんは2017年にべルギーで開催しているロープレスキューの世界大会「GRIMP DAY」に初めて日本代表として参加なさったそうです。その後もロープレスキューについての機材や技術を教えたり、日本で開催するロープレスキューの大会運営に携わったりしていらっしゃいます。ご自身が山に向かう時、安全の為に心掛けていることを伺うと「準備を怠りなく行う事ですね。道具の選択は季節や場所にあわせて変わるので、慎重に準備し忘れ物をしないこと。そして登山届けを忘れずに提出する。ココヘリにも入っています。入会のきっかけは所属していたガイド協会で紹介されていたので。山岳ガイドでも何があるかわからないし、こういったものは持っていた方がいいなと思って入会しました」と山﨑さん。奥様にココヘリについて伺うと「ココヘリは有効性が高く、安全対策には必要なものだと思っている。山で人がいなくなったニュースや記事を見て、ココヘリを持っていれば見つけてくれるのにね、と話しています」とおっしゃっていました。
「僕は民間の遭難捜索団体にも所属しています。以前にいなくなって5か月経った方の捜索に私が携わった際のことですが、日帰りの山のはずなのに私たちが下山したら登山口にまだ車が1台残っていました。もしかしたらこの山にもう一人遭難者がいるかもしれないと考え、その車のナンバーを警察に伝えました。翌週別のメンバーが捜索に入りその方を見つけたのです。山の中で 1 週間よく耐えましたよね。僕たちが依頼を受けて捜索していた方ではなかったのですが、その方を探していたおかげで彼を見つけることができました。探している者の立場から言うと、探すのは本当に大変です。探すための手掛かりが増えるので、登山届を必ず出して発信機を持っていてほしいと思います」と山﨑さん。
山﨑家のレジャーは山遊び一本。「家族で冬山登山もやりましたし、山小屋にも泊りました。子供達は山以外選べなかった(笑)。それこそ遊園地とか行ってないです。3人息子の末っ子が最近結婚したのですが、彼が奥さんを紹介するのに選んだ場所も山でした」山小屋1泊の登山に未来の奥様を連れてきた末っ子くん。山好きの遺伝子は脈々と受け継がれているようです。今でも近県に住む息子さんたちとは山登りを楽しんでいらっしゃるそうです。山小屋風のあたたかな雰囲気の山﨑家のリビングには、山の地図や家族で訪れた山の写真がたくさん飾られていました。
「これからも子供たちと毎年どこかの山に登れたらいいなと思うし、新婚旅行で訪れた思い出のシャモニーにもう一度嫁さんと行きたいなと思っています」と山﨑さん。これからも、お子さんやお孫さんと一緒に山を楽しみ続ける山﨑家にココヘリは寄り添い続けます。
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