山岳•アウトドア関連の出版社勤務を経て、フリーランスの編集者に。著書に『テントで山に登ってみよう』『ヤマケイ入門&ガイド テント山行』(ともに山と溪谷社)がある。
記事一覧7月、8月の前半は夏山シーズン真っ盛りで、山には多くの登山者が集い、年間でいちばんの賑わいを見せる季節です。でも、8月の後半から9月にかけては、山域によってはもう秋の様相となるところも多く、やはり相応の準備と心構えが必要です。
どちらにせよ、このシーズンは夏休みやお盆など長期の休みが取りやすいこともあり、ふだんよりも長めの行程で山に入る人も多くなると思います。北アルプスや南アルプスなど、技術的にも体力的にもむずかしくなる山域での行動には、やはり十分な経験と知識、そして現場での判断力が不可欠であり、山登りのハードルは一段上がっていると考えるべきでしょう。
その高いハードルには、落とし穴もたくさんあります。標高の高い岩場の通過には、何が必要なのでしょう。夏の午後に雲がぐんぐんと湧き上がってくるときに注意すべきは? 1日の行程が10時間越え……その計画で本当に歩き切れますか??
残念ながら、やはりこの季節にも多くの事故が起こっています。いつどこで、どんな事案が発生しているのか。昨年の同シーズンに発生した遭難案件を検証します。
2022年7月から9月の3ヶ月間で、ココヘリへの通報があった件数は全27件。まずは、検証のもととなる以下の各表、グラフをじっくりと見ていただければと思います。「通報者」がだれであったか。「通報の種類」は何であったか。また、通報案件の「パーティの人数」と、「事故の発生原因」「安否」についてなど、前回の4月〜6月のシーズンレポートと同じ指標で、さまざまな視点からデータづくりをしてみました。
ここに掲載した表、グラフは全部で6つ。内容は以下の通りです。
①発生域と日付(事案の発生した山域と日付を地図上に表示)
②通報者(ココヘリへ最初に通報した人が、遭難者とどんな関係にあるのかを示したもの)
③通報の種類(通報に至るおもな理由)
④パーティの人数(対象事案の入山時の人数)
⑤事故の発生原因(事故となってしまった原因)
⑥安否(事故の結果としての安否状況)
先ほど、7月〜9月の3ヶ月で発生した事案は「27件」と書きました。これは、その前シーズンとなる4月〜6月の16件と比べると11件も増えています。この数字は遭難であったか遭難でなかったかに関わらず、ココヘリへ連絡のあった件数ですが、やはり多くの人が山に入るシーズンだけに、比例して数字が大きくなっていると考えられます。ここで大きな特徴として現れたのが、①の「発生域と日付」の地図にもあるように、事案の発生が長野県に集中している点です。数は多くはないですが、おとなりの富山県でも、また山梨県でも発生しています。
このエリアにあるのは、そう、北アルプスに南アルプス。この季節にしか歩けない岩稜帯を多くの一般登山者が小屋と小屋を繋ぐ「縦走スタイル」などで踏破していると考えられます。しかも、高山の夏は短くもあり、7月中旬から8月にかけての期間に通報事案が多くなっているのも見て取れます。7月17日に甲斐駒ヶ岳で、19日に西穂高岳、23日に鳳凰三山の薬師岳、同じ日に広河内岳、翌24日には八ヶ岳と奥穂高岳、31日には光岳、槍ヶ岳と続いています。また、8月20日には北穂高岳、白馬岳、三俣蓮華岳と3つの案件が集中するなど、同時多発的に起こってしまうのも、多くの人が入山するこの季節の特徴ともいえるでしょう。
さて、具体的な通報の内容について、それぞれのグラフを見ていきたいと思います。②の「通報者」と③の「通報の種類」ですが、ここは春のときと同じく、家族からの通報が第一で、その理由は「音信不通」です。電話が繋がらなかったり、GPSの反応が止まってしまったりして、家族が不安になってしまう。この構図には、変わりがありません。やはり、家族を安心させるための工夫が必要で、登山計画書を共有すること、山では計画通りにいかない場合も多々あることを事前に伝えておくべきでしょう。
続いては、④の「パーティの人数」です。④にある「不明」の11%ですが、これは、ココヘリに警察や関係者から「照会」があった件数が2件、さらに要請をしたものの「キャンセル」となった件が1件あり(①の「発生域と日付」を参照)、その数字を「不明」にあてたものです。なので、敢えてこの不明を除いて計算をしなおしてみると、単独は75%にも上ります。
相変わらず、単独での登山者が多い傾向にも変わりがありません。ただ、岩場の多い高山での行動が多くなる夏山登山での単独行は、「よりリスクの高い行動」となって事故に繋がってしまうことも多く、どこまでも課題として残ってしまう現状だと思います。理想は単独行ではなく、複数人での行動を心掛けることです。それがむずかしければ、山岳ガイドをつける、もしくは登山学校などのカリキュラムに参加するなどして、自身の登山技術を上げていくしかありません。どういった方法でリスクヘッジをしていくかは、もちろん当事者の自由ではありますが、単独行が持つ危険をしっかりと理解しておくべきでしょう。
⑤の「事故の発生原因」でいちばん多かったのは「下山遅れ」であり、52%を占めています。これは、下山が遅れてしまうことで「下山を待っている家族が不安になり、通報へと至る」といった案件で、そもそもが遭難ではなかった場合も多いようです。次にグラフの多くのスペースを占めているのが「滑落」の15%です。この数字、次の⑥の「安否」 にも繋がってくるのですが、岩場での滑落事故はやはり生死に関わってしまうことが多く、残念ながら死亡案件としてカウントされてしまっています。
⑥「安否」のグラフをみると、生存が19%、死亡が11%、不明が15%、下山遅れが56%
となっています。不明は、先のパーティの人数と同じく照会やキャンセルに関するもの、下山遅れはそもそもが遭難ではなかったとすれば、「生存」と「死亡」の部分に注目すべきかもしれません。こちら、案件の実数でいえば、生存者は5名、死亡者は3名となっています。この「死亡」の3件の「事故の発生原因」はすべて「滑落」。場所は西穂高岳、北穂高岳、そして槍ヶ岳でした。どちらも、実際に公的機関やココヘリチームの捜索へと至った案件となっています。
ココヘリに通報があった場合、実際にはどう動いているのかについては、前回のシーズンレポート中「『通報』のその先にあるもの」の項に詳しく書いていますが、今回は要救助者の発見へと至るプロセスについて、具体的に焦点をあててみたいと思います。ココヘリのサポートセンターに第一報が入ってから、内側のチームはどう動いていくのか。大まかな流れは以下の通りとなっています。
1.サポートセンターへの第一報
2.瞬時に、ココヘリ内の連絡システムにて「捜索チーム」に情報が共有される
3.ココヘリの担当者より通報者への電話連絡/状況の確認
4.要救助者のココヘリID/登山届の有無の確認
5.公的機関/担当所轄への連絡
6.ココヘリ側のヘリの運行可能状況の確認
7.ドローンチーム(地上部隊)へのスタンバイ指示
*4、5、6、7は同時進行で
8.公的機関との連携を図りながら、捜索計画を具体的に立てていく
9.随時、通報者へ状況を連絡
10.天候等により捜索可能となった場合は、以下の順番で
・公的機関のヘリにて捜索スタート(サーチ&レスキューが可能なため)
・上記で発見に至らない場合は、ココヘリのヘリにてサーチ
・地上部隊がドローンにてサーチ
*上記を発見に至るまで可能な限り、繰り返す
これが、ココヘリチームが毎回、案件ごとに整えている体制の一例です。実際、8番以降の「捜索」に至らずとも、基本的に1〜7までの体制は整え、状況に応じて対応をしています。準備を整えているあいだに、要救助者との連絡がついたり、生存確認ができたりすることもあり、いい意味での杞憂に終わることも多くあります。当然ながら、通報者は不安でいっぱいのことが多いのですが、捜索準備の状況や捜索側の考えなどをていねいに当事者に共有していくことを大事なポイントと捉え、電話連絡についてはかなり頻繁に行うこととしています。
この3ヶ月間で、ココヘリのシステムが要救助者の「発見」への手助けとなった例は4 件ありました。
機密保持の観点からここでは詳細は伏せますが、ココヘリ手配の民間ヘリとドローンチームが公的機関と連携をしながら現場で捜索活動を行ない、位置情報を確認できた事例や、ココヘリを導入している公的機関による捜索活動で、位置特定に貢献できた事例もありました。また、悪天候でヘリを飛ばすことができなかった案件では、該当機関の地上部隊とともにドローンチームが入山し、位置特定の支援を行ないました。
ただし、上記の3件は残念ながら死亡事例となってしまっています。
もう1件の発見事例として、ココヘリが開発した位置特定アプリ『LIFE BEACON』を使ったものありました。LIFE BEACONは、ココヘリの信号を携帯端末に入れたアプリで探せる新しい機能で、スマートフォンなどが圏外でなければ、場所の特定ができるというものです。これは、8月13日に一報が入ったもので、下山予定を過ぎても連絡が付かないという案件でした。向かった先は燕山荘から表銀座、常念岳を経て一ノ沢へと下りるルートです。このときは公的機関の動きとは別になるものですが、ココヘリでも捜索に動いています。その結果、要救助者の携帯には繋がらなかったものの、同行者もココヘリの会員で、そのIDからすでに松本市内にいることが判明。同行者への電話連絡にて、無事が確認されました。これは、LIFE BEACONを使ってのはじめての発見事例となりました。
公的機関との連携、ココヘリの民間ヘリ、ドローン捜索による地上部隊の投入、そして新しいアプリの開発......このように、幾つもの手段を使って「発見」に繋がる糸を網の目のように張り巡らせていく。ココヘリがめざしているのは、ひとりでも多くの人が「生きて帰る」ために、安心・安全な登山ができるようにするためのバックアップであり、登山者が自分たちの意識の向上をしてもらうための「下支え」のシステムづくりです。
ココヘリのサポートセンターへの第一報から捜索へと至る流れを見てきましたが、このシステムを内側で支えているメンバーのひとり、ココヘリ在籍の登山ガイド・清水良文から具体的な話を聞いてみました。やはり、電話口で話している通報者は、焦りや不安でいっぱいになってしまっていることが多く、冷静に正確な情報を聞き出すのはたやすいことではないようです。受け手側の人として、どんなことを心掛けているのでしょうか。
・第一報が入ったときの基本的な対処の仕方と心得は?
まずは速やかに通報者へ連絡をして、冷静に状況の把握と状況の整理をしていくことが大事なポイントとなります。通報のほとんどはココヘリ会員の家族からであることが多く、できる限り、通報者と同じ気持ちになり、相手の不安な気持ちを察しながら寄り添う心持ちで対処するように心掛けています。
・通報者とのやり取りのなかでとくに気遣っていることは?
通報者は不安な気持ちのなかで、次の連絡を待っています。やはり、大切なのは「細かな情報の共有」を行なうことです。そして、なにかあればいつでも連絡をしてもらえる体制をとり、少しでも不安な要素を払拭できるようにしています。
・山の専門家として、また個人的な感覚として、遭難を少しでも減らすために必要なことはどんなこと?
ココヘリのような位置特定サービスは、ほかにはない山岳遭難対策のシステムです。遭難時にもっとも時間の掛かる位置特定を速やかに行なうことで、遭難者の命ばかりでなく経済的なリスクからも家族を守るサービスであり、ココヘリを持つことは、やはり「備える」ことにつながっています。
登山には多かれ少なかれ、リスクは伴うものです。でも、そのリスクを少なくしていくことはできるはず。「登山計画書は出さないとダメなの」という意見をよく聞きますが、考えてみれば、多くの人はふだんの旅行でも計画を立て、行先を家族に共有して出掛けていると思います。山でもこれは同じこと。どこの山にだれと登っているのか、いつ帰ってくる予定なのか……自然のなかに身をゆだねる登山では、なおのことこの計画が重要です。細かく言えば、登山計画をつくりあげることで、コースタイムやエスケープルート、危険個所などを事前に把握することができるようになる。これは、遭難のリスク回避につながっているのです。本当に基本的なことですが「登山計画書は必ず出す」、これをつねに心掛けて欲しいです。
ここまで、2022年の7月〜9月のデータをもとにして、昨年の振り返りをしてきましたが、この夏も登山のハイシーズンが始まろうとしています。みなさん、事前の準備はOKでしょうか。ココヘリの捜索システムは多様化し、「発見」へと至るケースも増えていますが、そもそもは事故を起こさないに越したことはありません。せっかくの山登りを悲惨な結果にしないためには、やはり、相応の準備と心構えが大切です。「むかし取った杵柄」ではありませんが、かつて鍛えた技能や腕前というのはそう衰えるものでもないのかもしれません。でも、その杵柄に対応できるだけの「体力」がちゃんと残っているのかどうかは、どうでしょうか。
若かったころは1日に10時間の行動は当たり前だったかもしれませんが、たとえば、60歳、70歳を過ぎてしまえば、そうはいかないものです。実際に今回の例にも、高齢の登山者が岩場での10時間行動を登山計画に入れ込み、遭難事故を起こしています。これはもはや計画の段階から失敗をしてしまっているのであり、自身の能力を過信してしまったからの結果なのかもしれません。
何かが起こってしまったときのバックアップとして、ココヘリは力を発揮することができますが、やはり「何も起こらないで欲しい」のが、ココヘリチームの本心でもあります。無理をせず時間も距離も、計画にはゆとりを持つこと。エスケープできるルートを選ぶこと。できるなら単独行ではなく、複数のパーティーでの行動を。そして、必ず登山届を出すこと、下山を心待ちにしている人がいることを忘れずに。いよいよ夏山シーズンのはじまりです。この季節も存分に山を楽しんでください。
ココヘリでは、会員限定の特別価格で登山用品を揃えられる通販モール『AJMALL』を展開しています。こちらのモールでの購入金額のうち、10%が次年度の年会費から割引されるという仕組みで、安全登山に必要な用具の数々をラインナップしています。また、ただ単に販売をするのではなく、やはり「学びがあってこそ」のココヘリです。そこで、毎月13日を「ト・ザン」=「登山」の日として、この5月から用具にまつわる特集記事の掲載を開始しました。
書き手は、数々のアウトドア雑誌での用具記事を手掛けるフリーライター・編集者の伊藤俊明さん。登山にも用具にも深い知識と経験をもとにした、わかりやすい記事展開をしてくれています。最初のテーマは「安全登山のための服装術」。5月13日は「カラーやデザインよりも大切なこと」としてレイヤリングの話を、6月13日には「登山の雨具を考える」として、レインウェアの話を掲載しました。こちらもぜひ読み込んで「学び、備えて」、今シーズンの夏山を安心、安全に過ごしましょう。